月報とカルト運営シミュレーション

■目標:1ヶ月に1度はブログを更新する。
というのも、この個人サイトとブログはサーバーを借りて、そして独自ドメインを取得して運営しているのだが、端的に言うと少額と言えどお金をかけているのだ。かつ、二次創作コンテンツを扱っている以上アフィリエイトは導入しないと決めている。なので、お金をかけている場所をせめて自分が満足出来るぐらいに活用したい……という訳だ。

Twitterも日常の話をクローズドなアカウントでするようにしたので、もう少し人となり(この場合の人となりとはネット上で作りたい像のこと)が分かる場所を作っておいても良いだろう、という見方もある。ブログはアクセスされない限り閲覧されないので、求めてない方に興味の無い一人間の日常が垂れ流される心配もないし。

興味がある方はこちらから。よっぽどの理由がない限りはフォロー許可しています → @92ka292ka

 

■「Cult of the Lamb」の話
最近やったゲームについての覚え書き。「Cult of the Lamb」とは、カルト宗教の教祖になって教団を運営しながら、敵の異教徒を倒していくシミュレーション&ローグライトゲームである。

教祖は子羊の姿をしている。
自分で自由に教条を決めながら、信者の信仰心を高めて教団を大きくしていく。シミュレーションパートのデザイン面が秀逸で面白い。時間が溶けるように遊べた。

祝宴の儀式で美味しいものを食べたり。

信者と結婚してみたり。重婚可能らしい。

うちの教団は自由を重んじて、美味しいもの食べて楽しく生きてからさっさと死にましょうね(善人は若死にす)って教条にしたのに、序盤の食料事情がかつかつで、信者がみんな雑草食べていたのが印象的だった。このゲームには餓死という概念がある。

信者を生贄に捧げたり、キノコを使って信仰心を高めたりとやりたい放題だったが、亡くなった信者を弔ったり、ひとりひとりに立派な寝床を用意したりとまあまあ良い教祖を演じていたと思う。

しかしゲーム中、「信者の奴隷になってはいないか?」と問われる場面があってハッとした。この世界における教祖にとって、信者とはあくまで利用するもので、尽くす対象ではないのだ。
シミュレーションゲームはNPCの満足度を如何に上げるかというプレイをしがちだが、それってキャラクターの奴隷になっているとも言えるのだという気付きを得た。まあ、私はそういうロールプレイが好きだから構わないのだが……。

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