雑記(梅雨)

同人辞めるぜ! って感じのブログを書いたのが去年の7月の頭なので、丁度去年の今時期に辞めたいって悩んでいたんだろうなって思う。

辛くて辞めたがっていた理由も、私が解釈狭量クソオタクだから、と言う他ないのだろうし、結局辞めずに何冊か本を出してしまっているので何も様にならず、結局問題も解決しないまま一年が経ってしまった。
でもそこで「解釈狭量クソオタクだから」で諦めずに、ちゃんと問題を日本語化することを以前の私は目指していたんだと思うし、でも出来なくて悩んでいたのだと思う。だから一年経ったけど考えよう。どうして同人辞めたかったの?

 

まず、私は神原駿河っぽくない神原駿河が大の苦手だ。超地雷。
二次創作なんて個人の趣味なので、書く人は好きなように書いていれば良いのだと思うし、私はその自由を他者の都合で剥奪されることが何よりも嫌いなので、私自身も他人の解釈には口を挟まないようにしようと決めている。
会食で意図せず苦手な食べ物が出てきた時に、「私は食べれませんがどうぞ気にせず食べてください」と言うような心持ちだ。これはこれで失礼に当たるケースもあることは重々承知の上で、でもそんな例を挙げていたらキリがないのでここまで。

とりあえず私は、神原と言えば下ネタ! 玩具! 後ろもオッケー! みたいな解釈が駄目。
アナルは駄目ですよ! お母さん許しません! ちゃんと練習したら許すけど!
後にかんらぎのアナルセックスについては地雷を克服し読めるようになったのだが(いつか自分でも書きたいと思うくらいにはなった)、未だに他のカップリングでは飲み込みきれないでいる。沼地とか扇くん相手だとやっぱり踏み切れない……。

その解釈自体はまあ、先述の理由により別に世の中に存在するのが無理! って程ではないのだが、その解釈がさも世の中の神原像の一番大きな側面として先行しがちなのがなんか……この世界無理……ってなっていた。ような気がする。

あと私はなんだかんだSNSが好きなので、人の作品(になる前の解釈)を見て滅茶苦茶影響を受ける。
ちょっと面白いのが、その影響は書いているものに出るのではなく、書いている最中のメンタルに出る、ということ。メンタルの病み方には少なくとも二種類あって、もりもり書ける病み方と全く書けなくなる病み方がある。そして一年前は書けなくなった。

これは自分の解釈を愛しておきながら、自分の解釈に自信がないため、自分の世界が脅かされるようで不安だった為と思われる。
だのに、世界から切り離されてもまあ良いか、と一人でやっていける程、格好良くもなれないので、とりあえず自分で自分を好きになれるまで同人は辞めておこうって思った次第である。

で、案外早く自分の書いた世界を好きになれたから、結果的に辞めてないみたいなことになった。
辞めていたのは本当に一瞬だった。でも一瞬でも、何かを産む側から離れられたのは良かったとも感じた。

 

私はかなり長い期間メンタルが微妙に強くなく、言ってしまえば弱いので、常に大丈夫じゃない状態なのだけれど、その大丈夫じゃないの中身も気付かないうちに意外と変わっているもんなんだなあ、と思ってこの記事を書いている。

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